ADHD20代広告代理店勤務の方のインタビュー

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ADHDと診断されて生きてきた34年間の人生を振り返ってみると、それは常に激しい起伏と挑戦の連続でした。

幼少期、私はとにかく落ち着きのない子供でした。保育園の先生からは「あなたは元気すぎるのよ」とよく言われました。でも、私にとってはそれが普通でした。静かに座っているなんて、まるで拷問のようでした。

小学校に入学すると、私の「普通」が他の子と違うことに気づき始めました。授業中、先生の話を聞こうとしても、窓の外を飛ぶ鳥や、隣の席の子のペンの動き、教室の後ろにある時計の音など、あらゆるものに気を取られてしまうのです。

宿題をするのも一苦労でした。机に向かっても、すぐに別のことをしたくなる。本を読んでも、1ページ読むのに何度も同じ文を読み直さなければならない。頭の中はいつも100個のテレビが同時に違うチャンネルを映しているようで、どれに集中すればいいのか分からないのです。

中学生になると、さらに困難が増えました。忘れ物が多い、約束の時間に遅れる、提出物の期限を守れないなど、「怠け者」「いい加減な奴」というレッテルを貼られるようになりました。でも、私は本当に頑張っていたんです。ただ、どうしても上手くいかなかっただけなのに。

高校時代、私の人生は大きく変わりました。進路指導の先生が私の様子を見て、ADHDの可能性を指摘してくれたのです。病院を予約して診断を受けた時、私は泣きました。それまでの人生で感じていた「自分はダメな人間だ」という思いが、少し和らいだように感じたのです。

治療を始めてからは、少しずつですが、自分をコントロールできるようになってきました。薬物療法と認知行動療法の組み合わせで、集中力が向上し、衝動性も抑えられるようになりました。

しかし、大学生活は新たな挑戦の連続でした。自由な時間が増えたことで、時間管理がより難しくなりました。締め切り直前まで課題に手をつけられず、徹夜で仕上げることも珍しくありませんでした。一方で、興味のある授業では驚くほど集中でき、教授を感心させるほどの成果を上げることもありました。この「超集中」の状態は、ADHDの特徴の一つである「ハイパーフォーカス」だと後に知りました。

就職活動は、私にとって大きな壁でした。面接での質問に的確に答えられない、エントリーシートの提出期限を守れないなど、何度も挫折しました。しかし、粘り強く挑戦を続け、ようやく広告代理店に内定をもらうことができました。

社会人になってからも、ADHDとの付き合いは続きます。会議中に集中力が切れてしまう、重要な書類をなくしてしまう、締め切りに追われる日々…。でも、少しずつ自分なりの対処法を見つけていきました。

スマートフォンのリマインダー機能をフル活用し、ToDo管理アプリで仕事の優先順位をつける。長時間の作業は25分ごとに5分の休憩を入れる「ポモドーロ・テクニック」を使う。会議ではメモを取り続けることで集中力を維持する。こうした工夫を重ねることで、何とか仕事をこなしていけるようになりました。

そして、ADHDならではの強みも見つけていきました。「ハイパーフォーカス」を活かして、短期間で大量の仕事をこなすことができる。また、常に新しいアイデアが浮かぶため、ブレインストーミングでは重宝がられるようになりました。

恋愛面では、最初は苦労しました。デートの時間を間違えたり、相手の話を最後まで聞けなかったりと、トラブルの連続でした。しかし、ADHDについて正直に話し、自分の特性を理解してくれる人と出会えました。彼女は私の強みを認めてくれると同時に、苦手な部分をサポートしてくれます。彼女のおかげで、自己肯定感が大きく向上しました。

現在、私は広告代理店のクリエイティブディレクターとして働いています。ADHDの特性を活かし、斬新なアイデアを次々と生み出すことで、業界内で評価されるようになりました。もちろん、日々の業務でADHDによる困難に直面することもありますが、それを乗り越えるたびに自信がついていきます。

振り返ってみると、ADHDは私にとって呪いであると同時に、ある意味で贈り物でもあったのかもしれません。確かに、日常生活での困難は尽きません。しかし、それゆえに独自の視点や創造性を育むことができたとも言えるでしょう。

今では、ADHDについて公の場で話すこともあります。自分の経験が、同じように悩んでいる人の助けになればと思うからです。「ADHDだからできない」のではなく、「ADHDだからこそできる」こともたくさんある。そのメッセージを伝えていきたいと思っています。

これからの人生も、きっと波乱万丈でしょう。でも、もう恐れてはいません。ADHDと上手く付き合いながら、自分らしい人生を歩んでいけると信じています。時には道を踏み外すこともあるでしょう。それでも、その都度軌道修正しながら、前に進んでいく。

そう、私の人生は、まさにADHDそのものです。予測不可能で、時に混沌としていて、でも同時にエキサイティングで創造的。これからも、このユニークな脳との付き合い方を模索しながら、自分にしかできない方法で世界に貢献していきたいと思います。

ADHDは私の一部であり、私そのものです。それを受け入れ、活かしていくことで、きっとまだ見ぬ可能性が開けていくはずです。

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