海外から日本に移住した女性へのインタビュー

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幼少期 – 故郷での暮らし

私が生まれ育ったのは、ベトナムの小さな農村でした。両親は稲作を営む農家で、私には2人の兄と1人の妹がいました。家は質素でしたが、大家族で暮らす温かな雰囲気に包まれていました。母は早朝から晩まで働き、父は厳格でしたが子供たちのことを心から考えてくれる人でした。

朝は鶏の鳴き声で目覚め、学校から帰れば家の手伝いをするという日課が続きました。特に印象に残っているのは、雨季になると村全体が活気づく様子です。みんなで田植えをし、収穫を喜び合う。そんな共同体としての結びつきの強さは、今でも私の心の原風景として残っています。

学校では、英語の授業が大好きでした。外国の文化や言語に触れることができる唯一の機会だったからです。特に日本のアニメや漫画に魅了され、休み時間には友達と日本の話で盛り上がっていました。当時は、まさか自分が日本で暮らすことになるとは想像もしていませんでしたが。

進学と将来への夢

高校時代、私は村で一番の成績を収めました。特に語学の才能があると教師たちに褒められ、大学への進学を強く勧められました。しかし、家庭の経済状況は厳しく、両親は「女の子に高等教育は必要ない」と考えていました。

でも、私には夢がありました。日本で学び、より良い人生を築きたいという強い願望です。毎晩遅くまで勉強を続け、なんとか奨学金を獲得することができました。両親を説得するのに半年以上かかりましたが、最終的に「自分の力で頑張るなら」という条件付きで、留学を認めてもらえました。

日本での留学生活 – 予想以上の困難

2010年、私は日本に到着しました。空港に降り立った時の興奮は今でも忘れられません。しかし、その興奮も束の間、現実の厳しさに直面することになりました。

まず、日本語の壁は想像以上でした。教科書で学んだ日本語と、実際に使われている日本語には大きな違いがありました。方言や若者言葉、敬語の使い分けなど、戸惑うことばかりでした。授業では先生の話す内容を理解するのが精一杯で、ノートを取る余裕もありませんでした。

寮生活も簡単ではありませんでした。日本人学生との交流は限られており、多くの時間を一人で過ごしていました。食事の違いにも苦労し、最初の数ヶ月は毎晩のように故郷の味が恋しくなりました。特に困ったのは、アルバイトを探す際の面接でした。言葉の壁により、なかなか採用してもらえず、経済的に追い詰められることもありました。

運命的な出会い

そんな中、アルバイト先のコンビニで、後に夫となる人と出会いました。彼は常連客で、いつも優しく話しかけてくれました。私の拙い日本語にも熱心に耳を傾け、時には英語を交えながらコミュニケーションを取ってくれました。

最初は単なる親切な客という印象でしたが、徐々に会話が増え、休日には東京を案内してくれるようになりました。彼は私の文化や習慣に興味を持ち、ベトナム料理を一緒に作ったり、ベトナムの歴史について質問したりしてくれました。

交際が始まってからも、文化の違いに戸惑うことは多々ありました。例えば、ベトナムでは当たり前の家族との頻繁な連絡や、お金の価値観の違いなどです。しかし、彼は私の考えを理解しようと努力してくれ、互いの違いを認め合いながら関係を深めていきました。

結婚と新たな困難

プロポーズを受けたのは、卒業を半年後に控えた頃でした。嬉しさと不安が入り混じる中、私たちは結婚を決意しました。しかし、ここでも新たな困難が待っていました。

まず、両親への報告です。ベトナムの両親は最初、強く反対しました。「知らない国の人との結婚は危険だ」「だまされているのではないか」と心配していました。夫が直接ベトナムまで出向き、両親と話し合いを重ねた末、ようやく承諾を得ることができました。

日本での結婚生活も、想像以上に複雑でした。在留資格の変更手続き、様々な書類の準備、そして何より日本の結婚習慣への適応に苦労しました。特に大変だったのは、夫の家族との関係構築です。

義両親との関係

義両親は保守的な考えを持っており、外国人の嫁を受け入れるのに時間がかかりました。最初の頃は、食事の好み、生活習慣、考え方の違いなど、様々な面でぶつかることがありました。

特に印象に残っているのは、お正月の出来事です。ベトナムでは旧正月(テト)が最も重要な行事ですが、日本では新正月を祝います。私が旧正月に実家に帰りたいと言った時、義母は「日本の嫁なら日本の正月を大切にすべき」と言って悲しい顔をしました。

しかし、時間とともに互いを理解し合えるようになりました。義母は私にお茶の作法や和食の作り方を教えてくれ、私もベトナム料理を振る舞うようになりました。今では、新正月も旧正月も家族で祝う、新しい形の祝い方を見つけることができました。

仕事と自己実現

結婚後、私は日本での就職を決意しました。しかし、外国人であることを理由に、なかなか希望する職種に就けませんでした。最初は派遣社員として働き始め、その後、語学力を活かして貿易会社に転職しました。

仕事では言葉の壁に加え、日本特有の「報連相」や「空気を読む」といった文化への適応に苦労しました。失敗も多く、何度も挫折しそうになりましたが、上司や同僚の支えもあり、徐々に仕事を覚えていきました。

出産と子育て

結婚3年目に第一子を妊娠しました。妊娠中は体調管理の方法や食事制限など、日本とベトナムの違いに戸惑うことが多くありました。特に困ったのは、ベトナムでは当たり前の妊婦の食事制限が、日本では必要ないと言われたことです。

出産後も、育児方法の違いに悩まされました。例えば、ベトナムでは生後すぐからうつ伏せ寝をさせることが一般的ですが、日本では乳幼児突然死症候群の危険があるため推奨されていません。また、離乳食の進め方や予防接種のスケジュールなども国によって異なり、どちらの方法を採用すべきか迷うことが多々ありました。

現在 – 新しい人生の構築

今では日本での生活にも慣れ、2人の子供たちも元気に成長しています。子供たちには日本語とベトナム語の両方を教え、両国の文化を大切にしながら育てています。休日には家族でベトナム料理を作り、子供たちにベトナムの昔話を聞かせています。

仕事面では、自分の経験を活かして、在日外国人向けのコミュニティ支援活動も始めました。同じように日本で暮らす外国人女性たちの相談相手となり、自分の経験を共有しながら、より良い多文化共生社会の実現に貢献したいと考えています。

これからの夢

これからも日本での生活は続きますが、私は自分のルーツを大切にしながら、日本社会に溶け込んでいきたいと思っています。子供たちには、両国の文化を理解し、グローバルな視点を持った人間に育ってほしいと願っています。

また、日本で暮らす外国人女性のロールモデルとなれるよう、自己啓発も続けていきたいと考えています。言語の壁、文化の違い、そして様々な偏見。これらの課題に直面しながらも、諦めずに前に進んでいく姿を見せることで、同じ境遇の人々に希望を与えられたらと思います。

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