激辛好きの人の話

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3歳の誕生日。じいちゃんがわさび入りのおにぎりをくれた。みんなが「泣くぞ」って言ってたけど、俺は涙を堪えて完食した。あの時の刺激的な味が、俺の人生の始まりだった。

小学生の時はトウガラシの栽培の歴史や、辛み成分について調べるのにハマっていた(有名なのはカプサイシンだが、ワサビや玉ねぎの辛みは別の成分である。唐辛子は平気でもワサビは苦手という人がいるのはこのため)。トウガラシの食べ比べをして自由研究で発表したこともあり、「辛いもの博士」って呼ばれるようになった。でも、それは必ずしも良いことばかりじゃなかった。友達は俺の趣味を奇異の目で見るようになって、少し孤立してしまった。

中学生になって、俺は自分の趣味をあまり表に出さないようになった。でも、内心では辛いものへの情熱が燃え続けていた。放課後、こっそり地元の激辛ラーメン店に通ったり、家で密かに辛い料理を作ったり。それが俺の秘密の楽しみだった。

高校生の時、料理部に入ったんだ。最初は普通の料理を作っていたけど、ある日、文化祭で出す料理のアイデアを募集されて、思い切って激辛メニューを提案してみた。びっくりしたことに、顧問の先生が「面白い!やってみよう!」って言ってくれた。

俺が考案した「悪魔の舌震わすカレー」は、文化祭では物好きな人たちに試してもらえた程度だった。でも、自分のアイデアが形になって、誰かに食べてもらえたことが嬉しかったな。

大学では、同じような趣味の友人を見つけられた。3人で「辛い物同好会」みたいなのを作って、毎週末、世界の辛い料理を作って食べ比べをした。規模は小さかったけど、同じ趣味の仲間と過ごす時間は楽しかった。

就職活動の時、面接官に趣味を聞かれて正直に答えたら「個性的だね」って言われた。そして、中堅の食品メーカーに入社することになった。

配属されたのは商品企画部門。最初は会社の方針に沿った普通の商品企画をしてたんだけど、3年目に自分のアイデアを提案する機会をもらった。俺が考えた激辛調味料は、残念ながら採用されなかった。でも、上司が「面白いアイデアだ。次は市場のニーズをもっと研究してみよう」って言ってくれて、励みになったんだ。

その後も地道に企画を出し続けて、30歳の時に初めて自分の企画した商品が発売された。大ヒットとまではいかなかったけど、辛い物好きの間では評判になって。そのことが俺のモチベーションになったんだ。

35歳の時、会社の若手育成プログラムで講師を頼まれた。テーマは「個性を活かした商品企画」。自分の経験を後輩たちに話すのは新鮮な経験だった。

今は、商品企画部の中堅社員として、若手の指導もしながら新しい企画に取り組んでる。会社の主力商品にはなれなくても、辛い物好きの心をくすぐる商品を生み出し続けてるんだ。

休日には、自分のブログで辛い物の話を書いてる。読者は多くないけど、同じ趣味の人たちと交流できるのが楽しいんだ。

家族も俺の影響で少しずつ辛い物に慣れてきた。休日には世界の辛い料理を一緒に作るのが楽しみなんだ。子供たちが「パパの作る辛いもの、ちょっと食べてみる!」って言ってくれるのを聞くと、本当に嬉しい。

辛い物は俺の人生の重要な一部だ。派手さはないけど、自分の好きなことを仕事や生活に少しずつ取り入れられて幸せだ。これからも「辛さ」を楽しみながら、周りの人たちとも分かち合っていきたい。

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